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徳島地方裁判所 昭和31年(ヨ)28号 判決

申請人 相原右由 外六名

被申請人 株式会社 加賀屋商店

主文

申請人等の被申請人に対する解雇無効確認訴訟の本案判決に至るまで、仮りに被申請人は申請人等を被申請人の従業員として取扱い、且つ申請人等に対しそれぞれ昭和三十一年一月二十六日より同年三月末日まで別紙第一賃金表記載の金員並びに同年四月一日より別紙第二賃金表記載の金員を翌月五日までに支払え。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請の趣旨

主文第一項同旨の判決を求める。

第二、申請の理由

一、申請人等は醤油、味噌の製造並びに販売を業とする被申請人株式会社加賀屋商店(以下被申請人会社という)に勤務しその製樽部に従業しているものであるが、被申請人会社社長近藤嘉源太は昭和三十一年一月二十三日申請人等代表者相原右由に対し、製樽部作業所の一部を変更するが新作業所は環境が悪いため公平を期する必要上、申請人等を含む製樽部従業員の中で新作業所で従業する者を定められたい旨申入れたので、右相原右由は製樽部従業員にはかり交替で二名づゝ新作業所で作業することに定め、その旨を同月十五日右近藤社長に伝えたところ同社長は前言を飜し、件外製樽部従業員黒川三郎は製樽部の責任者として、同黒川博は小樽の仕事に従事させるため従前の作業所(旧作業所)に残留させるがその余の申請人等を含む製樽部従業員を新作業所で従業させる。もしこれに不服なれば製樽部を閉鎖し申請人等を解雇する旨右相原右由に口頭で言渡した。そこで申請人等は件外日本労働組合総同盟徳島県連合会副会長板東亀三郎を代理人に定め同日被申請人会社近藤社長と交渉した結果、同社長は右板東亀三郎に対し右解雇の意思表示はこれを取消し、被申請人会社取締役東京支店長富本清が帰徳の上、改めて交渉することを確約した。よつて右板東亀三郎は右富本清の帰徳後同年二月三日同人と交渉したが妥結せず、同月六日再度交渉する予定であつた。ところが突如、被申請人会社は同年一月二十五日付内容証明郵便をもつて同日限り申請人等を解雇する旨及び解雇予告手当三十日分を同封した書面を同月四日発送し同書面は同月六日申請人等にいずれも到達した。然しながら、前記一月二十五日の口頭による解雇の意思表示は即時解雇の意思表示であるにも拘らず、労働基準法第二十条所定の予告手当を支給しなかつたものであるから同条に違反し無効である。

二、仮りに右解雇が無効でないとしても同日被申請人会社は申請人等代理人板東亀三郎に対し解雇の意思表示を撤回したから解雇は存しない。

三、又、前記二月六日到達の書面による解雇の意思表示は同年一月二十五日に遡つてなされたものであるから労働基準法第二十条に違反し無効である。

四、又仮りに前記解雇は労働基準法第二十条に違反しないとしても不当労働行為であるから無効である。即ち、(イ)申請人等は昭和三十年七月十二日被申請人会社の件外従業員と共に八十一名をもつて加賀屋醤油労働組合を結成し、同組合は同年九月二十二日より被申請人会社と労働協約の締結に関して団体交渉に入り同年十一月十七日徳島県地方労働委員会の斡旋を開始したのであるが、被申請人会社近藤社長は右組合の先頭に立ち最も組合活動を活溌にしていた製樽部の申請人等に対し、同年十月二十四日申請人等が起居している被申請人会社宿泊部屋を立退き通勤するように通知し、同年十一月四日給食を停止する旨通知し、尤もその後の交渉により実現を見るに至らなかつたがこのようにして徐々に申請人等に圧迫を加えた。(ロ)然しながら同年十一月二十六日右組合と被申請人会社との団体交渉が決裂したため、申請人等を含む製樽部従業員十一名は同月二十七日及び二十八日の二日間にわたり十二時間ストを実行し、申請人大倉康明、村田喜一及び申請人平島幸次郎の息子である件外平島幸夫の三名が同月二十九日より同年十二月四日までハンストを実行し、遂に同年十二月四日徳島県地方労働委員会の斡旋の下に被申請人会社と右組合との間にショップ制及び賃金等に関する協定が成立した。(ハ)ところが他方、被申請人会社近藤社長は同年十一月十三日申請人等に対し、君等が一番組合の先立ちでやかましいから、一人づゝ順序よく首を切つて行くから心得ておけと放言し、昭和三十一年一月二日申請人大倉康明外製樽部従業員八名に対し、製樽部従業員は被申請人会社から製樽を請負わせる件外原田高一の下請をするようにせよしない場合にはいつでも解雇できると申向け前記協定に反する行動を要求する等により申請人等と右組合の一般組合員とを離間させようとし又は申請人等を右組合から脱退させようとし且つ被申請人会社の意のまゝになる組合を作ろうとしていたもので、被申請人会社が製樽部維持の方法又は申請人等製樽部従業員の他職種への配置転換について協議すべき時間的余裕をとらず、抜打的に製樽部を閉鎖してなした本件解雇は、申請人等が労働組合結成に関してその先頭に立ち、組合活動を活溌にして労働組合の正当な行為をしたことの故をもつて解雇したものであるから、労働組合法第七条第一項に違反し無効である。

五、申請人等はいずれも被申請人会社より別紙第二表通りの日給及平均月額賃金を受けこれを主たる生計費として家族を扶養しているものであり本年一月二十六日以降被申請人会社は申請人を正当な理由がないのにその職務に就業させず、且つその間の賃金の支払をせず、その為申請人等は右一月二十六日以降の給料の救済をうけなければ日々の生活に事欠くので本申請に及ぶ。

六、本件解雇理由が正当な経営権の行使に基くものであるとの被申請人会社の主張事実は、これを争う。

第三、被申請人会社の答弁

一、本件申請を却下する。

訴訟費用は申請人等の負担とする。

との判決を求める。

二、申請人等の主張事実中、

(イ)  申請人主張の一中被申請人会社が申請人等主張のように醤油、味噌の製造並びに販売を業とする株式会社であり申請人等がその製樽部従業員であること、被申請人会社社長近藤嘉源太が昭和三十一年一月二十三日申請人等を含む製樽部従業員全員十一名に対し製樽部閉鎖を宣言したこと、申請人等代理人板東亀三郎と交渉したが円満妥結に至らなかつたこと、同年一月二十五日付申請人等主張のような解雇予告手当同封の解雇の意思表示をした書面を同年二月四日発送し同書面が同月六日申請人等にいずれも到達したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(ロ) 解雇の成立時期については争う。即ち同年一月二十五日被申請人会社近藤社長は申請人相原右由、大倉康明、本地行夫の三名に対し口頭で解雇の意思表示をしようとしたが中途にして同人等がその場を去つた為完了しなかつたのでその後同日申請人等代理人板東亀三郎に対し口頭で解雇の意思表示を為し同時に同人に解雇予告手当を準備しその受領方の催告をした即ち、予告手当の提供をしたのでこの時に即時解雇が成立したものである。

三、申請人の不当労働行為の主張事実中、昭和三十年七月十二日被申請人会社従業員の中、申請人等を含む八十数名が加賀屋醤油労働組合を結成し、同組合と被申請人会社との間に同年九月二十二日より労働協約の締結に関して団体交渉に入り、同年十一月十七日より徳島県地方労働委員会の斡旋が開始されその斡旋中、同年十一月二十七日申請人等を含む製樽部従業員がストライキを実行したこと、同月二十九日より数日間申請人大倉康明、村田喜一及び件外平島幸夫の三名がハンストを実行したこと、同年十二月四日徳島県地方労働委員会の斡旋の下に被申請人会社と右組合との間にユニオンショップ制及び賃金体系等に関して協定が成立したことは認めるが、その余の事実は否認する。本件解雇は不当労働行為ではなく、正当な経営権の行使たる被申請人会社の製樽部閉鎖に基くものである。即ち、(イ)被申請人会社は醤油の製造販売が主たる事業であるが、醤油の容器である樽の製造修理は従たる事業であり伝統的な徒弟制度により養成されたいわゆる職入によつてのみなしうる手工業であるため企業の規模が大きくなるに従つて醤油の製造販売より分業化して行く運命にある。(ロ)樽の材料である樽丸、鏡底板、竹の中、鏡底板には従来、被申請人会社所有の山林の本材をもつて充てていたが、最近原木を伐りつくした為新たな山林を買求める資金に余裕がない。(ハ)従来、製樽部が使用していた仕込蔵の一部を醤油生産集中のため仕込に使用しなければならなくなり、製樽部作業所の場所的余裕がなく他面、製樽工場新設は資金的に不可能である。(ニ)昭和二十九年頃より瓶詰の需要が急激に増加し同業会社の中には製品の九割まで瓶詰にしているものもあり、瓶詰による販売競争に打勝つ準備に迫られている。(ホ)製樽部従業員が固定給制度の安易な生活に慣れて普通の職人のように仕事に全力をつくさないので給料の増加に比し生産が伴わない現状にある。以上のような事由により一、二年前より被申請人会社内部において製樽部門を廃止して請合制度に切換える意向が強くなつて来たが、申請人等の反対によりその実施が延引していたもので、昭和三十一年一月譲造部門の拡充具体化と共に懸案の製樽部閉鎖を被申請人会社取締役会で決議し、閉鎖の時期は従業員の態度を見て社長が決定することに方針を定め、更に同年一月二十四日の臨時株主総会がこれを決議したものであり、使用者が自己の経営する事業中、採算の合わない不良不利な部門を閉鎖しそのためにその部門の労働者全員を解雇することは、正当な経営権の行使である。

申請人等が別紙第二表の日給及平均月額賃金を取得していることは認める。

第四、疎明〈省略〉

理由

一、解雇の成立時期

(一)  被申請人会社代表者近藤社長が昭和三十一年一月二十五日申請人等代表者相原右由に対し口頭により申請人等を解雇する旨の意思表示をしたが労働基準法第二十条所定の予告手当を支給しなかつたから同条に違反し無効である仮に然らずとするもその後解雇の意思表示を撤回したから解雇の効力は生ぜずとの申請人等の主張について考えるに、疎甲第十二ないし十八号証、疎乙第七号証を綜合すれば、同年一月二十三日被申請人会社代表者近藤社長は申請人等を含む製樽部従業員に対し製樽部作業所を一部移転することを伝え且つ、製樽部主任件外黒川三郎に対し後で人員配置を相談の上決定するから案を考えておくように命じたところ、同月二十五日に至り右黒川三郎より申請人等が勝手に人員配置を決定し右黒川三郎を製樽部主任と認めず他の製樽部員と同様交替で大樽を製造修理するよう配置し、製樽部従業員件外黒川博も従来の小樽修理から大樽修理に配置替し申請人大倉康明を小樽専属に取決めているので製樽部主任として部員の統制がとれないとの報告をうけた。そこで右近藤社長は申請人相原右由に対し社長や主任を差置いて人員配置を取決めたことを責め且つ申請人等の取決めている人員配置を非能率的で生産を阻害するものとして非難したところ、申請人相原右由及び同人に従つて来ていた申請人大倉康明、本地行夫が不満の意を表明したので突如、右三名に対し製樽部を閉鎖する旨宣言したところ同人等は「工場閉鎖は大いに結構だ」といつてこれに応ぜず、右近藤社長のその後の言葉を聞かないまゝその場を飛出して立去つたので解雇の意思を表示するに至らなかつたことを認めることができる。従つて申請人等の右主張はこの点において爾余の判断をまつまでもなく失当である。

(二)  次に申請人会社代表者近藤社長が昭和三十一年一月二十五日申請人相原右由、大倉康明、本地行夫の三名に対し口頭で解雇の意思表示をしようとしたが完了しなかつたのでその後同日申請人等代理人板東亀三郎に対し口頭で申請人等の解雇の意思表示及び解雇予告手当の受理の催告をしたのでこの時に解雇が成立したとの被申請代理人の主張について考えるに前記認定の右申請人三名は右近藤社長より製樽部閉鎖の宣言を聞きこれを不満としてその後の話を聞かずその場を立去つたとの事実と疎甲第十二ないし十八号証、疎甲第二十号証、疎乙第七号証を綜合すれば、同日件外板東亀三郎は申請人等より右近藤社長と製樽部閉鎖について円満解決の交渉を依頼され申請人等代理人となつて右近藤社長と交渉したが、その代理権の中には、解雇の意思表示及び解雇予告手当の受領を代理する権限を含んでいなかつたことを認めることができるので被申請代理人の右主張は爾余の判断を俟たず採用することができない。

(三)  そうすると、申請人等に対する被申請人会社の解雇の成立時期は解雇の意思表示並びに三十日分の解雇予告手当を同封した書面が申請人等に到達したこと当事者間に争のない同年二月六日と解するのが相当であり尚右は即時解雇であるから他に無効原因のない限り、右到達と共にその効力を生ずることとなる。従つて右二月六日到達の書面による解雇の意思表示は同年一月二十五日に遡つてなされたもので同条に違反し無効であるとの申請人等の主張は右効力発生日時につき右認定と異る見解を前提とするものであるから採用することができない。

二、解雇の効力

次に本件解雇は労働組合法第七条第一項の不当労働行為であるから無効であるとの申請人等の主張について判断する。

(一)  (イ)昭和三十年七月十二日被申請人会社従業員中、申請人等を含む八十一名が加賀屋醤油労働組合を結成し、同組合と被申請人会社との間に同年九月二十二日より労働協約の締結に関して団体交渉に入り同年十一月十七日より徳島県地方労働委員会の斡旋が開始されたこと、(ロ)その斡旋中同年十一月二十七日右組合員である申請人等を含む製樽部従業員のみが十二時間ストを実行したこと、(ハ)同月二十九日より申請人大倉康明、村田喜一及び件外平島幸夫の三名のみがハンストを実行したこと、(ニ)同年十二月四日徳島県地方労働委員会斡旋の下に被申請人会社と右組合との間にショップ制及び賃金体系等に関して協定が成立したことは、当事者間に争がなく、疎甲第一ないし三号証、疎甲第五ないし十八号証を綜合すれば(ホ)右のハンストは同月二十九日より右協定成立の時まで前後六日に亘りなされたこと、被申請会社代表者近藤社長は(ヘ)右徳島県地方労働委員会斡旋中の同年十月二十四日申請人相原右由、本地行夫等に対し申請人等を含む従業員が起居している被申請人会社宿泊部屋を立退き通勤するよう通知し、更に同年十一月四日申請人等に対し給食を停止する旨通知し尤もその後の交渉によりいずれも実現されるに至らなかつたこと、(ト)同年十一月十三日申請人相原右由大倉康明、伊音定夫の三名に対し「君等が一番組合の先立でやかましいから一人づゝ順序よく首を切つて行くから心得ておけ」昭和三十一年一月二日申請人大倉康明、本地行夫、三木稔、平島幸次郎、伊音定夫、村田喜一等製樽部従業員八名に対し「君等は会社から製樽を請負わせる原田高一の下請をするようにせよ」「しない場合にはいつでも解雇できる」旨放言したこと、(チ)申請人相原右由は右組合の五人の交渉委員中の一人として被申請人会社との間の労働協約の締結、ベースアップの交渉等に参加し昭和三十年十二月十六日右組合の副組合長に就任し現在に至つており、申請人大倉康明は同年十二月二十五日右組合の執行委員に就任し現在に至つており、申請人本地行夫は右組合結成時より約二ケ月間、右組合の執行委員をしていたものであり申請人等はいずれも前記のようにストライキに参加した外、右組合の大会に努めて出席し活発な発言をし、組合決議を忠実に実行することに努める等により右組合の件外一般組合員に比し著しく組合活動を活溌にしていたことを認めることができる。以上の事実関係に前記認定に係る製樽部一部移転につき交渉中突如即刻製樽部閉鎖が為され、次で解雇通知が為されたこと、及び疏甲第十二号証、第二十号証を綜合すると、本件解雇は右製樽部一部移転につき近藤社長と交渉中の申請人相原がとつた稍々不穏当な言動に立腹した近藤社長が製樽部を閉鎖し且申請人等が嘗て活溌な組合活動を推進したことを理由として又今後も活溌な組合活動を為し会社に対抗することを恐れこれも排除せんとする意図の下になされたものと一応推認するに十分である。

(二)  然しながら他方、被申請代理人は正当な経営権の行使たる被申請人会社の製樽部閉鎖に基いて本件解雇をなすに至つたものと主張するので右事由の存否について判断し、果してそれが右推認を覆し解雇の決定的原因をなしうるかどうかにつき検討するに、疎乙第一ないし七号証を綜合すれば、(イ)被申請人会社の主たる事業は醤油の製造販売であるが、その醤油の容器たる樽の製造修理は伝統的な徒弟制度により養成されたいわゆる職人によつてなされる手工業であるため、近代的企業設備による大量生産に適せず企業の拡大に伴い醤油の製造より分離企業化して行く傾向にあること、(ロ)樽の材料である樽丸、鏡底板竹の中、鏡底板には従来被申請人会社所有の山林の本材をもつてこれに充てていたが、最近原木を伐りつくしたので鏡底板材の入手のため新たな山林を買入れるには資金的余裕がないこと、(ハ)昭和二十九年頃より瓶詰の需要が急激に増加し同業会社間に瓶詰による販売競争が激化し樽詰の需要が減少する情勢にあること、(ニ)製樽部従業員が固定給制度の安易な生活に慣れ稍々職務を怠り勝ちで給料の増加に比し生産が伴わないため樽の製造修理を請合制にする方が経済的に有利であること、以上のような事実関係より被申請人会社内の取締役間においては製樽部門を閉鎖して請合制度に切換える意向が強くなつて来ていたことは認めることができるが、被申請人会社が現在直ちに製樽部を閉鎖すべき緊急的要請に乏しく、他面製樽部閉鎖に際して予めこれを回避するための手段を尽さず又従業員に対する自発的他職種への配置転換、希望退職等の手段方策について従業員と特別な交渉は勿論これに対する考慮を促すべき時間的余裕すら与えてないことを認め得る。これ等事実を綜合してみると本件工場閉鎖及解雇は真に被申請人主張の閉鎖及解雇事由に基いてなされたものと解し難い。尤も、比較的組合活動を活溌にしなかつた件外製樽部従業員も申請人等と同時に解雇されたが、これは本件弁論の全趣旨によると同人等の職務能率が上らないことに加えて右認定の如く製樽部を閉鎖した為め同人等のみ除外することが出来ず已むなくなされたことを認め得る。よつてこれが事実を以て申請人等に対する解雇理由を左右するに足るものではない。

(三)  そうすると、本件解雇は労働組合の正当な行為をしたことの故をもつて解雇せられたもので労働組合法第七条第一項の不当労働行為となるから無効であると認定するを相当とする。

三、仮処分の必要性

申請人等が別紙第二表の日給及平均月額賃金を取得し居ることは当事者間に争なく、疏甲第十二ないし第十八号証によれば申請人等はいずれも労働者で被申請人会社よりうける賃金により主として生計を維持しているものであるが、昭和三十一年一月二十六日以降労務を提供したにも拘らず被申請人会社はいずれもこれを拒絶しているので、申請人等が本案判決確定に至るまで解雇者として取扱われその収入の道を絶たれるならば、現在の社会事情の下においては他に生活資料を得ることは極めて困難で著しい損害を蒙ることが窺われるから、従業員としての地位保全並びに昭和三十一年一月二十六日以降の賃金支払の仮処分をする必要があるというべきである。

四、結論

よつて本件申請は理由があるから申請人等に保証を立てしめないで許容し、申請費用については民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小川豪 宮崎福二 村上博巳)

別紙(第一表)

賃金表(昭和三十一年一月二十六日より同年三月三十一日まで)

申請人氏名

金額

計算の基礎

月給 円 平均稼動(二五×二五)

相原右由

一七、一〇五

三一一×五五

伊音定夫

一七、一〇五

三一一×五五

平島幸次郎

一六、五〇〇

三〇〇×五五

大倉康明

一七、一〇五

三一一×五五

村田喜一

一七、一〇五

三一一×五五

三木稔

一七、一〇五

三一一×五五

本地行夫

一九、〇八五

三四七×五五

別紙(第二表)

賃金表

申請人氏名

賃金月額

計算の基礎

月給 円 平均稼動

相原右由

七、七七五

三一一×二五

伊音定夫

七、七七五

三一一×二五

平島幸次郎

七、五〇〇

三〇〇×二五

大倉康明

七、七七五

三一一×二五

村田喜一

七、七七五

三一一×二五

三木稔

七、七七五

三一一×二五

本地行夫

七、六七五

三四七×二五

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